唄は祈り。分かち合うもの。

そして分かち合うもの。
という私は、どこでも唄えます💗
ベトナムのハナム省の孤児院では、さっちゃんのまわりを囲ってもらって野外ライブ✨
英語、、、通じないけどヨーロッパで慣れているから問題ないし、そもそもが一人旅できる程度しか喋れないから、気にしない😂
因みにお手洗いには鍵も紙もありませんし、穴が空いている程度の小屋です、、、こういうところでも喜んで唄うさっちゃんです❣️
孤児の彼らに大きなことは何ひとつできないし、しようとも思いません。
私は、その一瞬だけ、音楽を通じた時間をシェアさせて頂く旅が好きなんです🥰
そして、彼らの未来は、神様にお委ねします。
#ベトナム #ハナム省 #孤児院
スポンサーサイト
💖愛する人、愛されていた人の覚書💖

今日は大好きだった祖母の命日。
コンサートがあり、葬儀にも参加できず、遺体にも面会できずのお別れでしたが、不思議な体験をしたんですよね~。
祖父の葬儀も自分は入院中で亡くなったのを知ったのは退院してから。
二人の写真をこっそり忍ばせ、祖母の死を本番が終わるまで誰にも知らせず、ちゃっかりおばあちゃんの好きな歌も入れ、送りました。
最近は祖母の「戦争はいけるかい。すられんてや」(戦争はいけない。してはならない)という言葉が聞こえてくることがあります。
(祖父母宅裏に焼夷弾が落ち、不発だったので祖母は生きていて、母、私の命へと繋がっています。)
過去の日記の転機です。
↓
「祖母とアメージンググレース」
凄く不思議でした・・・。
数年前の秋、祖母が旅立ちました。
90超えの大往生、最期まで女性として美しく生き抜きました。
祖父の葬儀は、自分の入院中で亡くなったことすら知らせられず、そして、遠く離れた岡山の山奥での祖母の葬儀は、私は本番の為、出席できませんでした。
なので、二人の手札(写真)をこっそり忍ばせて・・・。
「アメージンググレース」を謳わせて頂いている時、会場が淡いおれんじ色の優しい光に包まれ、涙を流すお客様続出・・・。(共演者の目も潤んでいました)
まさに、その時間帯は、祖母が骨へと姿変えてく瞬間でした。
誰にも(共演者にも)、言ってなかったのですが・・・祖母が亡くなったこと。
しかし、その場に居合わせた方の多くの瞳に光るものがあり、けれど悲しみではなくて、穏やかな心になれるほっこりとした公演になりました。
おばあちゃんって、ずっと側にいてくれるんだね・・・。
きっと、おじいちゃんも・・・。
終演後、共演者にだけ、祖母が他界したことを知らせました。
一緒にいた女性はみるみる泣き出し、私も抑えていた涙が溢れてきました。(写真はその時のもの)
誰にでも優しく、耐え忍ぶ強さも持ち合わせる祖母は、私の憧れです。
おばあちゃんの孫であることは、さっちゃんの誇りです!!